10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

17世紀のロシア ロマノフ朝 ロシアが東欧の強国になるまで

 17世紀(1600年代)、日本は江戸時代前期。徳川家康江戸幕府をひらき、犬将軍徳川綱吉の時代である。

 そのころ、ロシアは東欧の小国に過ぎなかった。当時の東欧の強国はポーランドスウェーデンであった。ドイツ三十年戦争プロテスタント国が勝利するとポーランドが強国の地位から転落。代わりにロシアが台頭。

 この時代に登場したのがピョートル大帝である。17世紀、東欧の強国の地位をめぐり、北方戦争に突入する。

 

 

 

17世紀初頭の東欧の情勢

ロシア

 17世紀初頭、ロシアはまだ東欧の小国であった。
 1598年、リューリク朝が断絶。動乱の時代を迎えていた。

ポーランド

 ポーランドは、16世紀全盛期を迎える。リトアニアとの同君連合ヤゲヴォ朝の時代である。しかし、1572年にヤゲヴォ朝が断絶。選挙王制がひかれた。選挙王制とは、ポーランドの貴族が選挙によって国王を選ぶシステムである。ポーランドの国王には、近隣諸国の王家の有力者が選ばれた。

スウェーデン

 16世紀にデンマークから独立。グスタフ=アドルフの時代を迎えた。

3つの宗教

 東欧の3か国は同じキリスト教国だが、すべて宗派が異なっている。
 ロシアは、ビザンツ帝国の流れをくむギリシア正教会。ポーランドは、ローマ=カトリック(旧教)、スウェーデンは、16世紀の宗教改革で登場したプロテスタント(新教)のルター派。この宗派の違いが東欧の戦争を激化させた。

ドイツ三十年戦争スウェーデンの地位が上がる。

11年 ポーランドワルシャワへ遷都


13年 ロマノフ朝成立

 1598年リューリク朝が断絶。その後、ロシアは動乱の時代に入った。一時は隣国ポーランドに占領された時期もあった。
 13年、全国議会でリューリク家の遠縁ミハエル=ロマノフを皇帝に選出。ロマノフ朝が始まった。

18年 ドイツ三十年戦争

ベーメンでのプロテスタント(新教)の農民反乱
神聖ローマ帝国内の新教側の国王がベーメンの農民反乱を支援。
ドイツ三十年戦争に突入した。

神聖ローマ帝国

当時ドイツは、30前後の国に分かれていた。
宗教も、それぞれの国で異なっていた。

ベーメンとは

 現在のチェコ。当時ベーメン神聖ローマ皇帝(ハプスブルグ家)の直轄地であった。当時のベーメンプロテスタント信者が多かったが、ハプスブルク家がローマ=カトリックであったため、カトリックを強制されていた。

30年 スウェーデン、ドイツ三十年戦争プロテスタント側で参戦

 29年、プロテスタント側のデンマークが敗北。カトリック教国のハプスブルク家ポーランドの侵攻をおそれ、スウェーデン国王グスタフ=アドルフは、プロテスタント側で参戦を決定した。このとき、スウェーデンは、フランスから資金援助を得ている。余談だが、イギリスからも資金援助を期待したがイギリス議会の承認が得られず、実現しなかった。

35年 スウェーデン国王グスタフ=アドルフ戦死

 35年、スウェーデン国王グスタフ=アドルフは、ドイツ三十年戦争で戦死。その後、プロテスタントカトリックが和約を結ん一旦和約を結んだ。しかし、グスタフ=アドルフの跡を継いだスウェーデン女王クリスティナはフランス(ルイ13世)と連合して再び神聖ローマ帝国へ侵攻した。ちなみに、クリスティナ女王は文化人としても名をはせ哲学者デカルトとも親交があった。

48年 ドイツ三十年戦争終結 ウェストファリア条約

 ドイツ三十年戦争は、新教側(スウェーデン・フランス連合軍)の勝利で終結した。スウェーデンは、北ドイツに領土を獲得した。

ロシア・ドイツ・スウェーデンポーランドフルボッコ


17世紀半ば、ロシアは農民反乱により農奴制を強化

 17世紀中ごろ、南ロシアのコサックが大規模な農民反乱ロシア皇帝はこれを鎮圧するとともに農奴制を強化した。

54年 ロシアとスウェーデンポーランドに侵攻

 48年、ポーランド支配下にあったウクライナで農民反乱。ウクライナの農民はモンゴルと戦った騎馬軍団の子孫で、ロシアと同じギリシア正教会を信仰していた。
 54年、ロマノフ朝は、ウクライナの支援目的でポーランドへ侵攻した。時を同じくして、スウェーデンポーランドへ侵攻した。
 60年、ポーランドは、スウェーデン・ロシアにそれぞれ敗北。このとき、プロイセン(のちのドイツ)はポーランドからの独立を勝ち取った。ポーランドはこの後衰退傾向が進み18世紀後半にポーランド分割によって消滅する。


ロシアを強国に引き上げたピョートル1世

82年 ピョートル1世即位

 ピョートル1世は、西欧化政策を推し進めた。特にオランダから造船技術を輸入した。また、文化面でも西欧化を進めた。貴族にひげをそるようにも命じた。

89年、清王朝康熙帝)とネルチンスク条約を締結。極東の探検が本格化。

 1582年からシベリア(ウラル山脈東部)の開発を進めていた。89年清王朝康熙帝ネルチンスク条約を締結。清王朝ロシア帝国の国境を画定させた。ピョートル1世は、このあと極東に次々と探検隊を送った。このころから日本(江戸幕府)とロシアの交流が始まる。

96年 オスマン帝国から黒海北部(アゾフ海沿岸)を獲得

00年 北方戦争が始まる。

ポーランドが脱落した東欧の勢力争いは、スウェーデンとロシアの2か国になった。00年スウェーデンとロシアは、バルト海制海権をめぐり激突した。

 

申し訳ありません。ここのところ時間通りあげられていません。先週ストック切れでアップしてすぐ投稿が続いています。明日は予定通りアップできるように頑張ります。

 

このころの日本は

 

sekaishiotaku.hatenablog.com

 ネルチンスク条約を締結した中国は

 

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