80年代後半、日本は平成時代に入る。当時はバブルの絶頂期であった。世界に目を向けるとベルリンの壁崩壊で冷戦が終結する方向に向かっていた。
そのころのイランは、イラン=イラク戦争の真っ只中にあった。その戦争も89年に終結。同じ年、イランの最高指導者ホメイニ師が亡くなった。
イラン=イラク戦争
86年、アメリカのレーガン大統領は、北アフリカのリビアを攻撃。当時、リビアはイランを支援していた。87年、1月イラン、クルド人の反乱を支援。7月国連はイランに経済制裁を決議。8月、イランはホラズム海峡に機雷を設置した。9月イランはアメリカのタンカーを攻撃。10月アメリカはイラン=イラク戦争に参戦。イランの油田を空爆。余談だが、ブラックマンデーの要因となった。
88年、4月イラン、サウジアラビアと断交。88年8月、イランが国連安保理決議を受諾。イラン=イラク戦争は終結した。翌89年、イランの最高指導者ホメイニ師が死去。90年、イランとイラクの国交が回復した。
イラン=イラク戦争後のイラク
88年、イラン=イラク戦争に勝利したフセイン大統領のイラク。各国から武器援助を受けていたため、この時期かなり軍事力が高かった。
フセイン大統領は、大統領就任当初、北部のクルド人の自治を認めるなど穏健派であった。しかし、イラン=イラク戦争中にクルド人の反乱がおこるなどの問題がおきたため、政策を転換。多数派のシーア派やクルド人の弾圧を行った。
また、90年にはクウェート侵攻を行った。
フセイン大統領
スンニ派のバアス党員。イラクでは、シーア派が多数派のため、スンニ派は少数派であった。79年に大統領に就任した。ホメイニ師がイラン革命に成功した年である。
バアス党
バアス党の正式名称は「アラブ社会主義復興党」である。目標はアラブ人による統一国家の建設にある。社会主義とあるが、決して社会主義国を目指しているわけではない。
当面の敵は、かつての宗主国であった欧米諸国とイスラエルである。47年シリアで結成。その後、中東諸国にバアス党が結成された。シリアでは63年、イラクでは68年に政権をとっている。
次回予告
なぜ、イラン=イラク戦争は勃発したのか
「1980年代のイラク ホメイニ師 国際的に孤立し、イラン=イラク戦争勃発」
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