10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

1980年代のフランス ミッテラン大統領 イラン・イラク戦争とブラザ合意

 80年、モスクワオリンピックが開催されたこの年、イラン・イラク戦争が始まった。翌81年のフランス大統領選挙でミッテラン大統領が勝利。労働者優位の政策を進めた結果、失業率が拡大。85年、プラザ合意でドル安が進んだ。ECは、南欧3か国が加盟。単一欧州議定書が発効した。

 

80年 モスクワオリンピック開催

 初の共産圏での開催。前年79年のアフガニスタンに侵攻に対し、アメリカのカーター大統領はボイコットを要請。日本、西ドイツなどはボイコットしたが、フランス、イギリスなどは参加した。84年のロサンゼルスオリンピックでは、逆にソ連などの東欧諸国がボイコットした。ちなみにロサンゼルスオリンピックは、商業五輪の始まりと呼ばれる。

80年9月、イラン・イラク戦争開戦

 前年79年のイランでイスラム革命がおこる。親米の国王が倒れ、シーア派中心の共和制へ移行した。一方、イラクではサダムフセインが大統領になった。イランはアメリカの支援を失った。80年9月、弱ったイランへイラクが侵攻した。欧米やソ連、中国はイラクを支援した。とくに、フランス、中国、ソ連イラクへの武器輸出で90%を占めていた。フランスとロシアは2003年イラク戦争開戦では反対に回った。

80年11月、アメリカ大統領選で。共和党レーガン氏が勝利。

81年5月、フランス 社会党ミッテラン大統領就任

法定労働時間の削減。死刑制度の廃止等を実施。
しかし、翌82年、インフレの進行。失業率が増大。英米日が進める自由主義政策に転換した。86年の議会総選挙で大敗。シラク首相率いる保守派内閣との連立内閣になる。


85年9月、プラザ合意

 アメリカ、イギリス、フランス、西ドイツ、日本の5か国によるドル高への協調介入。86年3月には、同5か国による協調利下げ。87年2月、ルーブル合意で行き過ぎたドル安の是正。87年10月、ニューヨーク市場でブラックマンデーが起こる。

 

ミッテラン外交政策、統一欧州市場の構築

 ヨーロッパの統合では、81年にギリシア、86年にスペインポルトガルが加盟し、12か国体制になった。ヨーロッパの市場統合を進めるため、57年に調印されたローマ条約を大規模修正した単一欧州議定書を作成。86年2月にEC12か国で調印し、87年に発効した。また、85年にフランス、西ドイツ、ベネルクス3国の5か国間でシェンゲン協定を締結。自由な往来が可能となった。ちなみにこの5か国は5世紀に成立したフランク王国と重なる。

 

そのころの日本は

 

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 そのころの中国は

 

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 その後のフランスは

 

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