10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

東南アジアの歴史 3日目 タイの歴史

タイは、半島部の真ん中に位置する。上座部仏教を信仰。
13世紀までは、カンボジア支配下にあったが13世紀のフビライハンの混乱期にスコータイ朝がたつ。その後、アユタヤ朝ラタナコーシン朝が成立し、ラタナコーシン朝は現在まで続いている。
18世紀以降も独立を保ち、1930年には日本と同様立憲君主制へ移行。1960年代から開発独裁を行い、反共と外国資産の受け入れを進めた。しかし、1990年代のアジア通貨危機で不況に入り、現在に至る。

7世紀 モン人がドヴィーラヴァティ王国を建国<上座部仏教を信仰>   
   扶南王国の属国(カンボジア・真臘しんろう)がタイ南東部まで平定   
8世紀
9世紀 カンボジアクメール王朝アンコール朝がタイ東北部へ侵攻
10世紀
11世紀 カンボジアクメール王朝アンコール朝の支配下にはいる。
12世紀
13世紀 中国の元王朝フビライハンの東南アジア遠征のさなか
    タイ人による初の統一国家スコータイ朝が成立。
14世紀 アユタヤ朝が成立。
15世紀 アユタヤ朝永楽帝期の鄭和の南海遠征により海上貿易で栄える。
    アユタヤ朝スコータイ朝支配下に入れる。
    カンボジアのアンコール朝の都アンコールを攻略
16世紀 大航海時代で日本やポルトガルとの交易が始まる。
17世紀 アユタヤ朝、全盛期 このころ、日本人傭兵山田長政が毒殺。
    日本、オランダ、フランス商人が訪れる。
    日本人町もこのころ作られる。
18世紀 ミャンマーのコンバウン朝によりアユタヤ朝が滅亡
    その後、現在まで続くラタナコーシン朝ミャンマーから独立。
1800年
1810年
1820年
1830年
1840年
1850年代 イギリスに治外法権を認める。
1860年ラーマ5世即位
     イギリス、フランス、アメリカと通商条約を締結。
     中央集権体制絶対王政へ移行する。
1870年代 英語学校を開校
1880年陸軍士官学校を開校
1890年代 海軍士官学校を開校
     ラオスをフランス領インドシナに割譲
1900年代 英仏協商で独立を確保
1910年代 第一次世界大戦
1920年
1930年代 立憲革命で立憲君主制へ、タイ国と呼ばれる。ピブン政権が成立
1940年代 第二次世界大戦では、枢軸国側(日本側)で参戦。
                第二次世界大戦では、イギリスはタイを敗戦国として扱おうとしたが、
     アメリカ・フランスの反対で戦争責任は問われなかった。
     反日政策をとった自由タイが活躍した結果。
     ピブン氏も復権し、親米政策をとる。
1950年代 東南アジア軍事協定SEATOに参加
                ピブン氏の腐敗政治に対し、サリット将軍がクーデター    
1960年代 サリット将軍の開発独裁
     反共政策と外国資本を積極的に受け入れた。
1970年代 学生が暴動
1980年代 ベトナム軍と衝突。エビの日本向け輸出で好景気に沸く。
1990年代 アジア通貨危機で不況に入る。。
2000年代 タクシン首相、公共業促進や社会保障の充実をすすめる。
     しかし、これらの政策の裏側で職権乱用が汚職が横行との噂
     軍事クーデターで失脚
2010年代 インラック首相、未曽有の洪水被害の対応で支持を集めるが
      タクシン元首相の恩赦問題で支持を失う。