なぜ、中国史から入るのか
こんばんは、sekaishiotakuです。日本史編はいかがだったでしょうか。「ざっくりと」表題をうっているわりには、深入りしすぎたかもしれません。
来週から、中国史編に入ります。なぜ2回目に中国史を選んだかというと、西洋史よりも私的にわかりやすいと思ったからです。中国は、近世まで周りに強国がないため他国との関係性を西洋史ほど気にする必要はありません。また、中国史は日本史と類似点が非常に多いのです。
中国史は、日本史に似ている。
中国史は、西洋史と比較して日本史に似ています。それは、以下の2点からです。
- 日本も中国も大きな国境変動がない。
- 古代から近世にかけて、日本は中国を手本としてきた。
日本史も専攻している人や中学時代歴史を得意としてきた人は、中国史と日本史の類似点や相違点に注目するとわかりやすいと思います。
中国史と日本史の相違点
中国史と日本史の相違点で代表的なものを2つ挙げます。
中国は広い
中国は日本に比べ人口が多く広大です。日本の戦国時代のような戦乱期や南北で分裂した時代が長いです。ここで、南北の特徴を話します。中国は黄河流域の北部と長江流域の南部に分裂することが多々あります。南側は、温暖な気候です。日本と同じ気候と思っていただけるとわかりやすいです。有名な都市でいえば上海です。一方、北側は非常に寒冷な気候で、日本の東北・北海道のイメージです。代表的な都市は、北京です。
これは、食生活にあらわれます。中華料理のメニューでラーメンとチャーハンのセットあると思いますが、ラーメンの原料は小麦で主に北部で取れます。一方チャーハンのh原料はコメで南部でとれます。北部ではラーメンや餃子などが主食なり、南部では日本と同じようにご飯が主食になります。また、温暖な気候のほうが農業に向いていますので、南部は豊かで北部は貧しいのが特徴になります。
異民族の侵入
中国は、日本と違い大陸と陸続きです。そのため周辺諸国の影響をうけます。重要な民族を2つ挙げておきます。1つは北方騎馬民族です。まだロシアがなかったころ、中国の北方は、騎馬民族が生活していました。北方は農地が作れないので中国との交易で小麦やコメを手に入れていました。しかし、スキがあれば中国に侵入し直接支配をすることもありました。隋や元などがこれに当たります。もう一つは、女真族です。朝鮮半島北部から中国東北部にすむ民族で、狩猟や採取で生活をしており、交易によってコメや小麦を得ていました。彼らも金や清などで中国を支配することもありました。
中国の政策で注目すべきところ
最後に中国王朝の政策で確認すべきところを5つ挙げておきます。
役人の選び方
ここでいう役人は、公務員というよりは政治家と思ってもらったほうがよいでしょう。現在の日本は選挙によって政治家を選びますが、当時はどのようにえらんでいたのでしょうか。
税金
現在の主な税金は、消費税や法人税もありますが、基本は所得税で所得に応じて金銭で納めます。しかし、当時は所得を計算する方法もなく、金銭もありませんでした。当時の中国王朝はどのようにして収入を得ていたのでしょうか。
地方統治
前述のとおり、中国は広大で一地方政権は普通の国の一国に匹敵するほどです。ここで注目すべきは3点です。1つ目は、地方長官の選び方です。中央政府(王朝)から派遣するのか世襲させるのか。2つ目は、地方政府の財源です。中央政府(王朝)が支払うのか、地方の税収でまかなうのかです。3つ目は、地方長官の権限です。この視点をできるだけつかんでほしいです。
外交
強気(強硬外交) OR 弱気(協調外交)
兵役
徴兵制(農民の義務) OR 募兵制(金で雇用)