10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

2019-07-01から1ヶ月間の記事一覧

1890年代のロシア ロマノフ朝 アレクサンドル3世 露仏同盟と中国進出

1890年代、日本が日清戦争の勝利で沸いていた。 このころ、ロシアは東西の大事件で変革期を迎えていた。 西のドイツでは、ビスマルクが引退。ドイツとの再保障条約が更新されなく、露仏同盟の締結となった。 東の清王朝(中国)は日清戦争に敗北。ロシアは、…

4世紀のペルシア ササン朝 シャープール2世 と ゾロアスター教

4世紀、日本は古墳時代であった。 このころ、ペルシアはシャープール2世の時代であった。隣国ローマ帝国ではコンスタンティヌス大帝が活躍。両国は和平を保っていた。また、宗教政策ではゾロアスター教の国教化を強化していた。 コンスタンティヌス大帝が亡…

1900年代のロシア ロマノフ朝 ニコライ2世 日露戦争の敗北でグレートゲームが終了

1900年代、ロシアは日露戦争に敗北。その後、ロシアはイギリスと英露協商を締結。19世紀100年間にわたる、イギリスとロシアのグレートゲームはここに終わる。 一方、このころ革命勢力が次々と結成されていた。

番外編 遅い夏が始まりました。日本の夏にお勧めのカジュアルウェア

こんばんは、sekaishiotakuです。 台風は大丈夫だったでしょうか。 被害にあわれた皆さんにはお見舞い申し上げます。 さて、私は夏定番にしている服装があります。 それは甚平です。 甚平 私は、3年ほど前から夏は甚平にしております。 甚平にしたきっかけ …

5世紀のペルシア ササン朝 ギリシアの学者がペルシアへ流入。

5世紀、日本では巨大古墳が作られた。このころになると中国の戦乱も落ち着き日本も中国への朝貢を再開した。 このころ、ペルシアはササン朝が続いていた。隣国ビザンツ帝国では、キリスト教ネトリウス派が異端。多くの信者がササン朝へ流入した。

1910年代のロシア ロマノフ朝 ニコライ2世 第1次世界大戦とロシア革命

1910年代、第1次世界大戦が勃発した。この第1次世界大戦下のロシア帝国でロシア革命は勃発した。

6世紀のペルシア ササン朝 ホスロー1世の全盛期

6世紀、日本は飛鳥時代で仏教が伝来したころである。 このころ、ペルシアは、ホスロー1世の時代であった。ホスロー1世は、絶好調のビザンツ皇帝ユスティアヌス帝と和睦。ビザンツ帝国以外との戦争に集中。国土を拡大した。

1920年代のロシア ソビエト連邦 レーニン レーニンの死

1920年代、日本は関東大震災から長期不況の中にあった。また、アメリカは栄光の20年代を謳歌していた。そのころ、建国したばかりのソ連は、建国の父レーニンが亡くなり、スターリン体制が確立された。

7世紀のペルシア ウマイヤ朝 イスラム勢力がササン朝ペルシアを滅ぼす

7世紀、日本は聖徳太子や中大兄皇子らが活躍した飛鳥時代であった。 そのころ、ペルシアではササン朝ペルシアが滅亡。イスラム勢力の支配下に入った。 イスラム教は、7世紀初頭に始まった。当初小さな宗教集団であったが、この世紀でオリエントを統一する大…

1930年代のロシア ソビエト連邦 スターリン書記長 世界恐慌の影響を受けないソ連

1930年代、世界恐慌の真っただ中にあった。しかし、社会主義国になったソ連は世界恐慌の影響を受けなかった。 世界恐慌による失業率の増大、普通選挙(納税額によらない議会選挙)による労働者の増大は、各国共産党を躍進させた。これは時の政権にとって厄介…

8世紀のペルシア アッバース朝 アッバース革命

8世紀、日本は奈良時代。仏教が厚く保護された。このころ、唐やペルシアの文化の影響を色濃く受けていた。 そのころ、ペルシア(イラン)は、イスラム王朝の時代であった。7世紀に成立したウマイヤ朝は、北アフリカからイランに広がる大帝国になっていた。し…

1940年代前半のロシア ソビエト連邦 スターリン書記長 第二次世界大戦下のソ連

1939年、第二次世界大戦が勃発。ソ連もこの戦争に参加した。当初、ドイツ陣営で参戦したが、途中でイギリス陣営に変った。

9世紀のペルシア サーマーン朝とアッバース朝 アッバース朝の分裂

9世紀、日本は平安時代初期。まだ唐の文化が色濃い時代。 ペルシアは、アラブ(イスラム教徒)のアッバース朝の支配下にあった。しかし、アッバース朝は衰退期に入り、ペルシアにも独立国が成立した。

1940年後半のロシア ソビエト連邦 スターリン書記長 冷戦の始まり

1945年、日本の降伏により第二次世界大戦は終結した。しかし、これは新たな対立の始まりであった。冷戦の始まりである。

10世紀のペルシア ブワイフ朝 アラブ人の支配からの脱却

10世紀の日本は、平安時代の中期。遣唐使を廃止し、十二単(じゅうにひとえ)や寝殿造りに象徴される国風文化が花開いた。 そのころ、ペルシアは、アラブ人(アッバース朝)の支配を受けていた。しかし、32年ペルシア系ブワイフ朝が成立。

1950年代のロシア ソビエト連邦 フルシチョフ書記長 朝鮮戦争とスターリン批判

1950年代、日本はサンフランシスコ講和条約で独立を回復した。自由民主党ができたのもこのころである。 そのころ、ソ連は冷戦の真っただ中にあった。しかし、53年スターリンが亡くなると冷戦は沈静化した。 しかし、フルシチョフ書記長のスターリン批判を受…

11世紀のペルシア セルジューク朝 スンナ派の救世主、セルジューク朝トルコ

11世紀、日本は平安時代後期。10円玉で有名な宇治の平等院鳳凰堂ができたのもこの時代。 そのころ、ペルシアは西側では、シーア派ペルシア人ブワイフ朝が支配していた。 一方、東部では2つのトルコ人国家が成立していた。 このトルコ人国家からセルジューク…

1960年代のロシア ソビエト連邦 ブレジネフ書記長 キューバ危機と食糧問題

1960年代、日本は高度成長期を迎え、アジア初の東京オリンピックを開催した。 このころ、ソ連はフルシチョフ書記長が指導していた。冷戦は過激さを増していた。そのような中起きたのがキューバ危機である。これにより冷戦は沈静化(雪解け)に向かった。 し…

12世紀のペルシア 群雄割拠の時代

12世紀、日本は平清盛など武家が中央政界に進出時代である。 11世紀に勢力を伸ばしたセルジューク朝が衰退していく時代である。中国からは女真族(金)に敗れた北方騎馬民族契丹族(遼)が西からは十字軍とエジプトが攻めてくる時代である。

1970年代のロシア ソビエト連邦 ブルジネフ書記長 停滞と軍縮

1970年代、日本は日本赤軍のテロが相次いだ。高度成長期も終わり、オイルショックなどで景気は悪化傾向にあった。

13世紀のペルシア イル=ハン国 チンギス=ハンのユーラシア大陸統一

13世紀はモンゴルの世紀である。日本では、源頼朝が登場した鎌倉時代である。 このブログでは、前半はチンギス=ハンの中央アジアの商業都市の侵攻を、後半ではフラグの建国した中東のイル=ハン国を見ていく。

1980年代前半のロシア ソヴィエト連邦 ブレジネフ書記長 新冷戦

1980年代前半、日本は70年代の停滞期を乗り越えバブル経済へ向っていく時代であった。 この時期、米ソは新たな段階を迎えていた。70年代、軍縮に向かって進んでいた。79年のソ連のアフガニスタン侵攻によって展開は変わった。新冷戦期に入る。 一方、ブルジ…

14世紀のペルシア イル=ハン朝 ティムール モンゴル再興の夢を見る

14世紀、日本は元寇による不況で鎌倉幕府が滅亡。南北朝の戦乱期に入る。 世界的にも、ペストが流行、暗黒の中世を象徴する世紀であった。 このころ、ペルシアはモンゴル帝国の支配下にあった。 14世紀のモンゴルは、分裂・衰退傾向にあった。1370年、ティム…