2019-06-01から1ヶ月間の記事一覧
1980年代後半、日本はバブル景気に沸いていた。このころ、ソ連は大きな改革を進めていた。その要因となったのがチェルノブイリ原発事故であった。 88年、ゴルバチョフ書記長は、制限主権論を破棄。翌89年、東欧革命が始まった。その象徴がベルリンの壁崩壊で…
15世紀、日本では室町時代で金閣寺や銀閣寺ができたころである。 このころ、イランでは世界帝国が再興した。ティムール帝国である。 西は、シリア・トルコから東は中央アジア・インドまでの大帝国の誕生である。
1990年代、日本は平成時代に入った。このころ、バブル崩壊で景気は冷めきっており、就職氷河期を迎え、大手銀行や証券会社がつぶれるような時代であった。 このころ、ロシアは大変革期を迎えていた。ソ連の解体である。ソ連の解体はいろいろなトラブルが生じ…
16世紀、日本は戦国時代を迎えていた。この戦乱はアジア全域にわたっていた。この戦乱を勝ち抜いたのが17世紀の4大帝国、清王朝、ムガル帝国、サファヴィー朝、オスマン帝国である。 16世紀のペルシアはティムール王国が滅亡し、サファヴィー朝が全盛期を迎…
2000年代、9・11テロで世界は新たな時代を迎えていた。日本では、小泉純一郎ブームが起こっていた。 そのような中、ロシアは新たなリーダーを迎えた。プーチン大統領である。
17世紀、日本では、江戸幕府が成立。戦国の世が終わり泰平な時代が訪れた。 そのころ世界では、アジアの4大帝国がでそろった。中国の清王朝、インドのムガル帝国、ペルシアのサファヴィー朝、トルコのオスマン帝国である。 サファヴィー朝ペルシアは、17世紀…
今回からロシアの話を進めていきます。 2010年代、日本では東日本大震災を克服した時代であった。 ロシアは、現在多くの紛争を抱えている。
18世紀の日本は、江戸時代の後半(綱吉~家斉)でした。 そのころ、ペルシアは栄光を極めたサファビー朝が滅び戦乱の時代を迎えた。 この戦乱をおさめたのがカジャール朝である。しかし、泰平の世は訪れなかった。北からロシアが南下政策を進めてきたのである…
いよいよ、フランス編最終回です。 今回は、共和政ローマ成立前の地中海の勢力争いの様子をみていきます。
1800年代、江戸時代後期。日本では、徳川家斉の大御所政治で化政文化が花開いていた。また、ヨーロッパはフランス皇帝ナポレオンがヨーロッパを席巻していた。 そのころのペルシアは、内乱が終わり、カジャール朝が統一したばかりであった。 カジャール朝ペ…
こんばんは、sekaishiotakuです。 イランが、ホルムズ海峡でタンカー攻撃を実施。アメリカとイランの関係は再び悪化しています。 イランとアメリカの関係については、本編を見てください。 今回は、タンカー攻撃の舞台になったホルムズ海峡の歴史を見ていき…
紀元前6世紀、中国では周王朝が衰退。春秋戦国の戦乱期に入っていた。 中東オリエントでは、アケメネス朝ペルシアが成立した。 この紀元前6世紀、共和政ローマは成立した。成立当時の共和政ローマは貴族のみが参政権を持っていて、平民には参政権はなかった。
1810年代は江戸時代後期に当たる。このころ日本は、徳川家斉の大御所政治で好景気に沸いていた。 そのころ、ヨーロッパではナポレオン戦争が終結。ヨーロッパに平和が訪れた。このころから、イギリスとロシアのアジア進出競争が始まる。17世紀アジア交易を牛…
紀元前5世紀、中国では儒教の祖孔子が誕生。中東ではペルシア戦争が起きていた。 そのころ、共和政ローマはまだ都市国家であった。貴族による共和政がおこなわれていたが、これに対し平民が反乱。平民の参政権が拡大した時代であった。
1820年代、日本は徳川家斉の治世。好景気に沸き、化政文化が花開いた。 このころ、カジャール朝はロシア帝国に敗戦。ペルシア版不平等条約 トルコマンチャーイ条約を締結する。これにより、カジャール朝はヨーロッパに対し治外法権を認めたほか、多額の賠償…
紀元前4世紀、中国は春秋戦国の戦乱期であり、孫氏の兵法などの諸子百家が台頭した時代である。 そのころ、共和政ローマはイタリアの中の小国家に過ぎなかった。共和政ローマの課題はイタリア半島の統一であった。そのため、貴族は平民を味方につける必要が…
1830年代、江戸時代後期。日本は徳川家斉の好景気が終焉。天保の大飢饉が起きたころである。大阪では大塩平八郎の乱が行われている。 このころ、カジャール朝ペルシアでは、第一次アフガン戦争の真っただ中にあった。この戦争は、カジャール朝ペルシアとアフ…
紀元前4世紀、中国では春秋戦国の戦乱が終わり、秦王朝が成立した。漫画キングダムの舞台になった時代である。 そのころ、ヨーロッパの共和政ローマは、イタリア半島を統一。しかし、共和政ローマはさらなる拡大を目指した。東のギリシア(マケドニア)、南…
1840年代、日本は江戸時代後期。遠山の金さんが活躍していたころ。寛政の改革やアヘン戦争の対応に気を配っていた。 このころのカジャール朝ペルシアは、ロシア帝国に続き、イギリスの脅威を受けるとこになる。38年の第一次アフガン戦争の敗北はその一例であ…
紀元前2世紀、東西に2大帝国が成立した。漢王朝と共和制ローマである。 共和政ローマは、北アフリカのフェニキア人やギリシア人を支配した。 一方で、領土の拡大とともに、格差が拡大が進む。格差是正にいそしむグラッスス兄弟と元老院が対立。平民と貴族の…
1850年代、日本はペリー来航で江戸幕府が大きく揺らいだ。しかし、世界全体の関心事は、これではない。クリミア戦争である。当時の2大帝国、イギリスVSロシアが最高潮に達した瞬間である。