10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

2019-05-01から1ヶ月間の記事一覧

紀元前1世紀のフランス 共和政ローマ 内乱の1世紀とカエサルのガリア遠征

紀元前1世紀、グラッスス兄弟の改革が失敗に終わり、ローマ帝国は2つのグループに分かれた。グラッスス兄弟の改革を支持する平民派と元老院を支持する門閥派である。 1世紀は、イタリアの同盟市の反乱、奴隷の反乱によって有力政治家が台頭。最初に台頭した…

1860年代のペルシア カジャール朝 ロシアの中央アジア進出

1860年代、日本では250年続いた江戸時代がおわり、明治新政府が成立した。いわゆる幕末と呼ばれる時代。 このころ、ペルシア・中央アジア地域の最大の課題は、ロシアの中央アジアの進出であった。

1世紀のフランス ローマ帝国 暴君ネロ帝とキリスト教

いよいよ、イエスが生きた1世紀に入ります。 このころ、漢王朝では、光武帝が即位。平和な時代が始まる。ローマ帝国も、この時期に帝政が確立した。

1870年代のペルシア カジャール朝 ロイター利権と第2次アフガン戦争

1870年代、日本は明治初期。ヨーロッパへの脅威を払拭するため富国強兵に努めていた。 このころのカジャール朝ペルシアも、日本同様ヨーロッパの脅威にさらされていた。ロシアとイギリスである。 カジャール朝ペルシアは、国王がイギリスに利権を渡すロイタ…

2世紀のフランス ローマ帝国 五賢帝の全盛期

2世紀、日本はまだ弥生時代で小国が乱立していた。いくつかの国が中国へ使いを送っていた。 そのころのヨーロッパは、ローマ帝国の全盛期である。この時代を五賢帝時代という。ローマ帝国は、ヨーロッパはもとより、北アフリカや中東の東半分を支配していた。…

1880年代のペルシア カジャール朝隣国アフガニスタン、イギリスの保護国になる。

1880年代、明治時代の日本は、大日本帝国憲法を制定。国会を開設した。列強から一目置かれる存在にはなったが、まだアジアの小国として扱われた。 そのころ、ペルシアでは、イギリス(イギリス領インド)とロシアのグレートゲームが展開されていた。

3世紀のフランス ローマ帝国 3世紀の危機、軍人皇帝時代

3世紀の日本は、邪馬台国の卑弥呼が活躍した時代。中国はまさに三国志の戦乱期にあった。 このころのローマ帝国も、漢王朝(中国)同様、巨大帝国の崩壊期を迎えていた。

1890年代のペルシア カジャール朝 タバコボイコット運動

1890年代、日本は日清戦争の勝利に沸いていた。これにより、ヨーロッパの植民地競争は清王朝までに達した。 そのころ、ペルシアは、イギリスとロシアのグレートゲームの最中にいた。それに反発するかのようにタバコボイコット運動が始まった。

4世紀のフランス コンスタンティヌス大帝とゲルマン民族の大移動

4世紀、日本は古墳時代であった。中国が戦乱期のため、このころの日本の情報は乏しい。 ここから、フランスから外れてローマ帝国の話に入る。4世紀のローマ帝国は、コンスタンティヌス大帝の時代である。

1900年代のペルシア カジャール朝 日露戦争の影響を受けて立憲革命へ

1900年代、日本は明治時代末期。日本は日露戦争でロシアに勝利した。このニュースはヨーロッパ列強に分割らされたアジア各国に衝撃を与えた。ペルシアもその例外ではない。 カジャール朝ペルシアでは、日露戦争に勝利した年、立憲革命がおき、近代化を進めて…

5世紀のフランス 西ローマ帝国の滅亡とフランク王国の成立

5世紀、日本では巨大古墳がたくさん造られた。 4世紀末、巨大なローマ帝国は東西に分裂。東ローマ帝国は繁栄をつづけた。しかし、西ローマ帝国は、ゲルマン人の侵入やアジア系騎馬民族の侵入で混乱。5世紀、オドアケルによって滅亡した。 フランスでは、フラ…

1910年代のペルシア カジャール朝 第一次世界大戦とイギリスロシアの分割統治

1910年代、世界は第一次世界大戦の真っただ中にあった。日本は、大戦景気を享受し、世界のリーダーの仲間入りを果たした。私はこの時が日本の全盛期と考える。 イランも、第一次世界大戦の影響を受けていた。

6世紀のフランス メロヴィング朝 ユスティアヌス帝の地中海再統一

5世紀、日本では仏教が伝わり、聖徳太子が摂政になった。 このころのフランスなどの西ヨーロッパは、西ローマ帝国が崩壊。ゲルマン民族の国が乱立した戦乱期であった。そのような中、ビザンツ帝国(かつての東ローマ帝国)に英雄が現れる。ユスティアヌス帝…

1920年代のペルシア レザー=ハン、パフレヴィー朝皇帝に

1920年代、第一次世界大戦が終わり、世界は平和を享受していた。特にアメリカが空前の好景気を迎えていた。一方、日本では、関東大震災を皮切りに長期不況が始まる。 そのころのイランは、カジャール朝が風前の灯のような状況であった。

7世紀のフランス メロヴィング朝 イスラム教の成立がフランスにどのような影響を及ぼしたか

7世紀、日本は飛鳥時代。大化の改新が行われたころである。 このころ世界では、預言者ムハンマドが神の啓示をうけた。イスラム教の始まりである。 ヨーロッパでは、地中海を支配していたビザンツ帝国が急速に衰退。代わりに台頭してきたのがフランク王国など…

1930年代のイラン パフレヴィー朝 イラン版明治維新を進めるレザー=ハン皇帝

1930年代、世界は世界大恐慌で停滞していた。そのような中台頭したのがナチスドイツである。 当時の中東は、アラブ民族主義が台頭していた。その背景には、宗主国イギリスの停滞があった。当時のイギリスは、世界大恐慌とナチスドイツの台頭に悩んでいた。

8世紀のフランス カロリング朝 ムハンマド(イスラム教)なくしてシャルルマーニュ(カール大帝)なし

8世紀、日本は奈良時代で奈良に大仏が建立された。奈良時代の文化は国際色豊かでとくにペルシア(イラン)の文化を色濃く受けている。 そのペルシアは、アラブ帝国ウマイヤ朝の支配したにあった。当時のヨーロッパはウマイヤ朝の脅威にさらされていた。 一方…

1940年代前半のイラン パフレヴィー朝 第二次世界大戦中、テヘラン会談が行われる。

1940年代前半、第二次世界大戦の真っただ中にあった。 そのころにイランは、インドを支配するイギリスとイランの北の大国ソ連の支配下にあった。そして、イランはソ連に物資を流入する重要な拠点であった。 1943年、ソ連は、テヘランにて、イギリス・アメリ…

9世紀のフランス カロリング朝 フランスの誕生 カール大帝とその孫たち

9世紀、日本は、平安初期。菅原道真公が遣唐使を廃止した時代である。 フランスの9世紀は、カール大帝の戴冠(800年)によって始まる。カール大帝の孫の世代になると相続争いが起こる。これによって、フランク王国は、フランス、ドイツ、イタリアに分裂した。…