10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

2019-02-01から1ヶ月間の記事一覧

5世紀の中国 南北朝時代 北魏が華北を統一。江南では貴族文化が花開く。

5世紀の日本は、各地で巨大古墳が作られた。また、このころ南朝に朝貢を行っていた。 そのころの中国では、華北の五胡十六国の戦乱が終わり、北魏が華北を統一。漢化政策を進めるとともに、各地に石窟寺院が作られた。一方、江南では、短命王朝が続いていた…

1900年代のフランス 第三共和政 三国協商の成立 ドイツ包囲網の完成

1900年代、フランス、ロシアがそれぞれイギリスと和解。ドイツVSイギリスの第一次世界大戦の構図がここに完成する。

6世紀の中国 魏晋南北朝時代 戦乱の北魏、貴族社会の南朝、そして隋王朝が統一

6世紀の日本は、仏教が伝わった時代である。 このころの中国は南北朝時代がつづいていた。北朝の北魏は、軍人と文官が対立。軍人がクーデターを起こす。再び分裂し戦乱の世に戻る。一方、南朝は引き続き短命王朝が続いていた。一方で平和な時代が続き六朝文…

1910年代のフランス 第三共和政 バルカン問題と第一次世界大戦

ヨーロッパは、イギリスを中心とする三国協商とドイツを中心とする三国同盟に分かれていた。しかし、アジア・アフリカの植民地化が完了し、戦争の火種を消えたかと思われた。しかし、新たな問題が生じた。バルカン問題である。この地をめぐり、オーストリア…

7世紀の中国 隋王朝から唐王朝 国際色豊かな長安と唐王朝

7世紀、日本は飛鳥時代に当たる。このころ、中国は、隋王朝が滅亡し、唐王朝が成立した。唐王朝は、科挙を行う一方で、門閥貴族を優遇した。都の長安は、ペルシア人や日本人も闊歩し、国際都市になっていた。唐王朝期の文化も国際文化豊かな文化となった。

1920年代のフランス 第三共和制 右派の強硬外交路線から左派政権の協調外交路線へ

第一次世界大戦の反省から、海軍の軍縮交渉が行われた。フランスでは、ポワンカレの右派政権が成立していた。ドイツに対しては強硬外交を実施。ルール占領はその一環である。しかし、国際的な批判を浴びて、退陣。左派勢力が政権を担うようになる。外交は国…

8世紀の中国 唐王朝後期 楊貴妃とイスラム教が唐王朝を衰退させる。

唐王朝は、財政難にあった。玄宗皇帝は、節度使制度を導入した。これにより、事実上封建制度が復活した。8世紀半ばになると、節度使による反乱やイスラム国家の侵攻でさらに衰退した。8世紀後半になると税制を改革。均田制は事実上崩壊した。

1930年代のフランス 第三共和制 世界大恐慌後の世界、イギリス、ソ連、ドイツの3つ巴の状態のヨーロッパ

29年の世界大恐慌は32年にはフランスに波及した。フランスは保護貿易政策で乗り切った。当時のフランスは、左派が政権が握っていた。一方で、隣国ドイツではヒトラーが台頭。イギリスは、ソ連などの社会主義勢力の台頭を警戒してナチスドイツに友好的な態度…

9世紀の中国 唐王朝末期 地方政権に没落した唐王朝。新興地主層の台頭。

8世紀、日本は平安時代の初期にあたる。唐王朝は、かなり衰退していた。均田農民も事実上土地の私有が認められ、貧富の差が拡大した。唐王朝の衰退によって門閥貴族が没落する一方、新興地主層が台頭した。

1940年代前半のフランス 第二次世界大戦下のフランス

第二次世界大戦は、3つの勢力が存在していた。イギリスと中心とした自由主義グループ、ソ連を中心とした社会主義グループ、ナチスドイツを中心としたファシズムグループである。フランス国内もド・ゴールを中心とした自由主義グループ、フランス共産党を中心…

10世紀の中国 五代十国の戦乱期 中国国内では軍人同士が争う中、門閥貴族が没落。

日本は、平安時代である。遣唐使を廃止し、ひらがなや寝殿造りなどの独自文化が花開き始めた。このころ唐王朝が滅亡。唐王朝を滅ぼした朱全忠も開封周辺しか統治ができず、地方は唐王朝期に成立した節度使が独自の政治を行っていた。中国の混乱期、周辺諸国…

1940年代後半のフランス 冷戦下で第四共和政が社会党系勢力で始まる。インドシナ戦争が始まる。

1945年、第二次世界大戦が終結。ヨーロッパは、アメリカ・イギリスを中心とした自由主義勢力とソ連を中心とした社会主義勢力が対立していた。フランスでは、ド・ゴールが当初国家主席をとっていたが、議会で共産党が勝利するとド・ゴールは辞任。社会党と共…

11世紀の中国 宋王朝 新興地主層がつくる中国らしい宋王朝

11世紀 日本の平安時代後期で、藤原一族の摂関政治が終わりを迎えつつあった。 この時代の中国は宋王朝の時代だあった。10世紀の五代十国の戦乱で、唐王朝期の門閥貴族が没落。新興地主層が台頭してきた。また、門閥貴族の没落は、皇帝権力を高めた。一方で…

1950年代のフランス 第四共和政 植民地支配に批判的な国際世論の中、植民地を失う。

1950年代のフランスは、植民地支配に批判的な国際世論で、インドシナ戦争、第二次中東戦争に敗戦。アジア、アフリカ地域への基盤を失った。そのため、新の市場を求め西ドイツなどとヨーロッパ統一市場の構築を模索し始めた。 また、フランスの南、北アフリカ…

12世紀の中国 金と宋 華北を捨てた宋、コメの生産量が増える。

日本の平安時代末期で、院政が始まり、平清盛など武士が政治に大きな影響力をもちはじめた。日宋貿易も盛んになり、宋の貨幣経済が平家政権を通じて日本に浸透した。 このころの中国は、契丹族の遼の支配下にあった中国東北部の女真族が金を建国。一方で、宋…

1960年代のフランス ド・ゴール大統領 英米と距離を置くフランス アフリカの年とベトナム戦争

59年アルジェリア問題から第五共和政が成立。ド・ゴール大統領が誕生した。ド・ゴール大統領は英米と距離をおく独自外交路線をとった。一方で、アフリカの植民地の独立を承認した。しかし、68年の世界的な学生デモの流れで、翌69年退陣する。

13世紀の中国 元王朝 モンゴル帝国、世界を席巻。

13世紀13世紀はモンゴルの世紀である。モンゴルの影響は、中国のみならず、東欧、イスラム社会、東南アジア、そして日本にも影響を与えた。当時の日本は、鎌倉時代であり、中国は、華北は女真族の金が支配しており、江南は、宋で農業も商業も目覚ましく発展…

1970年代のフランス ジスカールデスタン大統領 ニクソンショックとオイルショックで経済が停滞。

1970年代のフランスは、68年の学生運動をうけてド・ゴール大統領が退陣。一方で、ニクソンショックによる変動相場制への移行や、オイルショックによる物価高騰で経済は停滞していた。また、中東戦争やベトナム戦争などが終結したのも70年代である。

先週の復習と今週の予習。

こんばんは、sekaishiotakuです 最近忙しくて、ぎりぎりのタイミングでアップしているのが現状です。 今週は、嵐の解散などビックニュースがあふれて言いました。 昭和から平成に移行する時にも、千代の富士の引退や美空ひばりがなくなったりとスポーツ界や…

14世紀の中国 モンゴルの元王朝から漢民族の明王朝へ 初代皇帝洪武帝、宋王朝の栄光を取り戻す。

鎌倉幕府の末期で、中国はモンゴル民族の元王朝の支配下にあった。このころ、世界各地で自然災害や疫病が多発した。51年、宗教反乱の紅巾の乱がおこる。68年明王朝が成立。元王朝は北方へ逃げた。98年、建文帝が即位すると、永楽帝がくーでたーを起こす。