2019-01-01から1ヶ月間の記事一覧
80年、モスクワオリンピックが開催されたこの年、イラン・イラク戦争が始まった。翌81年のフランス大統領選挙でミッテラン大統領が勝利。労働者優位の政策を進めた結果、失業率が拡大。85年、プラザ合意でドル安が進んだ。ECは、南欧3か国が加盟。単一欧州議…
15世紀、永楽帝が即位すると、対外遠征を行い領土を拡張した。明代の全盛期である。一方で、鄭和の大航海で多くの国に朝貢を促した。 15世紀後半、永楽帝がなくなると、北方では騎馬民族が侵攻。南では大規模な農民反乱がおこる。そのような中、上海周辺では…
88年、ミッテラン大統領が再選。おなじ88年イラン・イラク戦争が停戦。ソ連では経済改革(ペレストロイカ)が始まる。翌89年、ドイツでは、ベルリンの壁が崩壊した。
16世紀は大航海時代である。日本では戦国時代真っ只中、後半には織田信長・豊臣秀吉が活躍する甚大になる。明王朝は、北方の騎馬民族と南の闇貿易に悩まされていた。16世紀後半に登場した張居正は14世紀後半、明王朝当初から行われていた海禁政策をとき、自…
こんばんは、sekaishiotakuです。 先週から、中国史とフランス史を交互に投稿する形に変更していきました。理由は、常に近現代史をやっていきたいと思ったからです。 先週は、フランスの冷戦後の歴史と中国の清王朝全盛期を見ていきました。 今週は、中国史…
ベルリンの壁が崩壊した激動の89年を経て迎えた90年代のフランスの大統領はミッテラン大統領であった。イラク戦争、EU発足。95年、シラク大統領が就任。核実験を行う一方で、FIFAワールドカップを開催。コソヴォ紛争も起こった。
17世紀、日本で江戸幕府が成立した。 同じころ、中国では、漢民族による明王朝から、中国東北部の狩猟民族女真族の清王朝へ王朝交代が行われていた。 中国東北部の女真族が清王朝を建国。おなじころ、明王朝は崩壊した。康熙帝が即位すると、三藩の乱で呉三…
2000年のフランス大統領はシラク大統領であった。01年アメリカで9・11テロが発生。アフガニスタン戦争、イラン戦争が起こる。イラン戦争ではフランスは反対を表明した。05年、アフリカ系移民による暴動事件が発生。07年、シラク大統領の後継としてサルコジ大…
日本は、江戸時代の中後期にあたる。中国は、清王朝下にあり、康熙帝から始まる黄金期にあった。その後、22年に雍正帝、35年に乾隆帝が即位。満州人は、明王朝の漢民族だけでなく、13世紀に世界を席巻したモンゴル民族も支配下に置いた。当時の皇帝は、独裁…
今週から、フランスと中国の歴史を交互にアップしていこうと思います。現在のフランスは、17年に就任した若きマクロン大統領のもと好景気を回復している。しかし、痛みを伴う改革は、「黄色いベスト」デモにつながった。12年から17年の間大統領を務めたのは…
清の衰退は、北京から遠い南部で始まった。96年四川省で始まった宗教反乱(白蓮教徒の乱)は、04年にようやく鎮圧された。しかし、これにより財政難になる。一方、外交では2大大国に挟まれていた。北方には、ロシア帝国。南方の広州ではイギリスとの貿易が始…
清王朝は、広州の麻薬中毒患者が増加したため、アヘン輸入の取り締まりを開始した。一方で、イギリス政府は清王朝と自由貿易交渉を行っている。
清王朝は、広州の麻薬問題に苦しんでいた。このころ道光帝が即位した。
清王朝は、広州の麻薬問題に対して、39年林則徐を派遣した。林則徐はイギリス商人の麻薬(アヘン)を没収した。
こんばんは sekaishiotakuです。 3連休はいかがでしたでしょうか。 先週は、1850年代のアヘン戦争から1890年代の日清戦争までを見ました。今週は、18世紀前半の中国を見ていきます。しかし、この時期は大きな事件がないので当時の2大帝国、イギリスとロシア…
イギリスは、林則徐の麻薬没収の報復として40年アヘン戦争を仕掛けた。清王朝はイギリスに敗北。多額の賠償金や治外法権などの不平等条約や香港の割譲を行った。(香港は1998年に中国に返還したが、この条約では返還義務はない。)同様な条約をアメリカ、フ…
香港近くの広東省で太平天国の乱がおきる。江南の南京を首都に独自政府を樹立した。太平天国の乱で混乱中の清王朝に対して、イギリス・フランス連合軍がアロー戦争(第二次アヘン戦争)を仕掛ける。清王朝は敗北し、ロシア帝国を仲介して北京条約を締結する。
太平天国の乱で活躍した李鴻章 60年、北京条約でアロー戦争は終結したが、江南では、太平天国のキリスト教国家が成立していた。この鎮圧には、漢人官僚や外国人兵が活躍した。64年太平天国の乱が鎮圧されると一時的な安定期に入った。このころ漢人官僚を中心…
摂政になった西太后 1879年、清王朝はかつての朝貢国明治新政府と対等外交を結ぶくことになる。当時の清王朝は中央アジアのイスラム教の反乱で苦しんでいた。また、同治帝がなくなり、幼い光緒帝が即位。同治帝の后西太后が摂政となった。西太后は、洋務運動…
清仏戦争 1880年代の清王朝は、3つの対外戦争の危機に瀕していた。1つ目は、ロシア帝国と中央アジアをめぐり対立していた。2つ目はフランスと東南アジアのベトナムの宗主権をめぐる対立。3つ目は、日本と朝鮮半島の宗主権をめぐる対立であった。ロシアとは、…
あけましておめでとうございます。sekaishiotakuです。 お正月はいかがでしたか。 年末年始は、東南アジア史をやっていきましたがいかがでしたでしょうか。 今週から中国の歴史に戻ります。その前に、前回までの復習と今週の予告をざっくり説明いたします。
フィリピン フィリピンは、ほかの東南アジア諸国から離れており、南シナ海の東側。南シナ海と太平洋に挟まれた島国である。 原住民による王朝はなく、大航海時代前はイスラム承認が支配していた。16世紀の大航海時代からスペインが植民地化を行い、ラテンア…
世界遺産 ボロブドゥール遺跡 インドネシアは、東南アジアの諸島部で南側に属する国で主にジャワ島とスマトラ島などの島で構成されているが、ここではジャワ島の歴史を取り扱う。 インドネシアは、インドの影響をうけ、大乗仏教やヒンドゥー教が広まった。8…
マレーシアは、諸島部の西側である。半島部と陸続きのマレー半島と半島の西側はインドネシアのスマトラ島に当たる。マレー半島とスマトラ島の間にはマラッカ海峡があり、インドから中国に向かう際の交通の要所である。そのため、ここを支配するものがインド…
ミャンマーは、半島部の西側にあたり、その西側はインドになる。上座部仏教を信仰。 当初、ミャンマーの地は、北にピュー族、南はモン族がすんでいた。そこへミャンマー人が移住して国家を建設した。その後、パガン朝、トゥングー朝、コンバウン朝が成立。 1…
タイは、半島部の真ん中に位置する。上座部仏教を信仰。13世紀までは、カンボジアの支配下にあったが13世紀のフビライハンの混乱期にスコータイ朝がたつ。その後、アユタヤ朝、ラタナコーシン朝が成立し、ラタナコーシン朝は現在まで続いている。18世紀以降…