10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

13世紀のビザンツ帝国 十字軍とモンゴル

  オスマン帝国は14世紀に建国された。今回からオスマン帝国成立前のトルコとギリシャの歴史をビザンツ帝国ローマ帝国)を中心にして見ていこうと思います。

 13世紀はモンゴルの世紀である。ビザンツ帝国もその例外ではなかった。北にはキプチャクハン国が建国。ビザンツ帝国と血縁関係にあったキエフ公国もその支配した。一方、南ではイルハン国が建国。アッバース朝のカリフが処刑された。

 一方、ヨーロッパでは、西欧とアイユーブ朝エジプトは、聖地イスラエルをめぐり十字軍戦争が展開されていた。

 そのような中、14世紀初頭の第四回十字軍はなぜか、標的がビザンツ帝国になった。ビザンツ皇帝はコンスタンティノーブルを追われ、コンスタンチノーブルから少し離れたニケーアに遷った。

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13世紀のビザンツ帝国 十字軍とモンゴル – 10年100年単位でみる世界史

 

1920年代のアメリカ 繁栄の20年代

 第一次世界大戦が終わったアメリカは、繁栄の20世紀を迎えた。大量生産、大量消費、大衆文化の時代である。その象徴が自家用車と映画である。この時代、フォードが大衆車の販売を開始した。また、映画では、チャップリンやウォルトディズニーが活躍した。

 第一次世界大戦の好景気によってアメリカは債務国から債権国になった。金融の中心もロンドンからニュヨークへ遷った。そのような中、大統領は共和党政権が続いた。共和党政権は自由放任主義的な経済政策をとった。

 29年、繁栄の20年代が突如としたおわり、世界大恐慌が始まった。

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1850年代のアメリカ 共和党成立とペリー来航 – 10年100年単位でみる世界史

14世紀のオスマン帝国 オスマン帝国の建国

  14世紀、日本は鎌倉幕府が滅亡し、南北朝の戦乱期に入ったころである。

 トルコでは、17世紀のアジア4大大国の1つであるオスマン帝国が建国された。建国当時のオスマン帝国周辺はモンゴル大帝国に囲まれていた。北にはキプチャクハン国、南にはイルハン国が存在した。オスマン帝国は、最初、ビザンツ帝国領のバルカン半島へ侵攻した。バルカン半島の全域を支配し、コンスタンチノーブルの包囲も行った。

 しかし、14世紀末東から強国が攻めてきた。中央アジアティムール朝である。オスマン帝国ティムール朝の侵攻によって滅亡寸前にまで陥った。

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14世紀のオスマン帝国 オスマン帝国建国 – 10年100年単位でみる世界史

1930年代のアメリカ 世界大恐慌とF=ローズヴェルト大統領

 1930年代、世界は世界大恐慌に悩まされていた。

 20年代アメリカは繁栄の20年代を迎えていた。しかし、29年ニューヨークで世界大恐慌が発生。これにより、世界大恐慌が始まった。

共和党フーバーは、世界恐慌になっても有効な経済政策が打てず、32年の大統領選挙で敗北。民主党F=ローズヴェルト大統領が誕生した。F=ローズヴェルト大統領は、ダム建設などの公共事業を拡大し、景気を安定させた。

一方、ヨーロッパでは世界恐慌の影響でナチスドイツが台頭。39年第二次世界大戦がはじまった。

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15世紀のオスマン帝国 ビザンツ帝国を滅ぼす。

 15世紀初頭のオスマン帝国は滅亡寸前の状態であった。その理由は中央アジアのティムールからの侵攻である。しかし、ティムールが亡くなるとティムール朝は急速に衰退した。

 そして、オスマン帝国は中断していたビザンツ帝国への侵攻を再開した。これによりビザンツ帝国ローマ帝国)1400年の歴史に幕を閉じた。

 オスマン帝国バルカン半島を統一すると黒海(ロシア方面)やヴェネツィア(イタリア)への侵攻を繰り返した。

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15世紀のオスマン帝国 ビザンツ帝国を滅ぼす – 10年100年単位でみる世界史

1940年代前半のアメリカ 第二次世界大戦とF=ローズヴェルト大統領

  第二次世界大戦は、1939年から45年にかけて行われた。世界を巻き込んだ戦いである。当時の大統領は、民主党のF=ローズヴェルト大統領である。F=ローズヴェルト大統領は異例の3期目に入っ

 アメリカは、第二次世界大戦において中立を保っていた。アメリカの関心ごとは、ヨーロッパではなく中国市場であった。中国は、国民党と共産党、さらに北方の軍閥などの戦乱の下にあった。日米にとって中国大陸はバルカン半島であった。

 41年、ヨーロッパで独ソ戦が始まった。そのころ、日米は中国市場をめぐり長期にわたる日米交渉を続けた。しかし、これは決裂。同41年12月、日本は英米に宣戦布告をした。これにより、日米は第二次世界大戦に参加することになった。

 第二次世界大戦は、当初英米が劣勢であった。しかし、ミッドウェー海戦を皮切りに攻守が逆転した。

 英米の連合軍が優勢になると米英ソで戦後構想が話し合われた。これによって誕生したのが国際連合である。また、この会談で米英とソ連は対立するようになった。それが40年代後半から始まる冷戦につながる。

 F=ローズヴェルト大統領は、終戦直前の45年4月病死しした。後を継いだのが副大統領のトルーマン大統領であった。

 

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1940年代前半のアメリカ 第二次世界大戦を戦うローズベルト大統領 – 10年100年単位でみる世界史

16世紀前半のオスマン帝国 スレイマン1世の全盛期

 16世紀前半、日本は戦国時代。オスマン帝国はスレイマン1世の全盛期に当たる。イランからバグダードイラク)を併合。ヨーロッパ方面ではウィーン包囲を実現した。

 外交面では、フランスと同盟関係を結び、フランス商人を優遇した。

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16世紀前半のオスマン帝国 スレイマン1世とヨーロッパ – 10年100年単位でみる世界史