10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

1940年代のアメリカ 冷戦の始まりトルーマン大統領

 1945年、第2次世界大戦の終盤に、アメリカのF=ローズヴェルト大統領が亡くなった。これを引き継いだのが民主党トルーマン大統領である。

 45年8月、日本の降伏によって第二次世界大戦終結した。その2か月後、国際連合が設立。長きにわたる平和が始まるものと思われた。

 しかし、東欧を中心にソ連が支援する共産党独裁政権が次々誕生した。トルーマンはこれに対抗してトルーマン=ドクトリンやマーシャルプランを提示した。

 48年、東西対立はさらに深刻化した。それは、冷戦第1Rのベルリン封鎖である。ソ連は西ベルリンを封鎖。アメリカはベルリン空輸作戦でこれに対抗した。この時に成立した軍事同盟がNATOである。

 49年、ベルリン封鎖が終わり、東西ドイツが成立した。この後、アメリカを震撼させる2つの事件が起きた。ソ連の核実験の成功と中華人民共和国の成立である。そして、50年、冷戦の舞台は東アジアに代わった。朝鮮戦争である。

 

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1940年代後半のアメリカ トルーマン大統領と冷戦 – 10年100年単位でみる世界史

16世紀後半のオスマン帝国 スペイン無敵艦隊に敗れる

 16世紀後半、日本では戦国時代。織田信長豊臣秀吉が解約した時代である。

 このころのトルコ・ギリシャオスマン帝国の時代である。16世紀半ばにスレイマン1世の全盛期を迎えている。16世紀後半になるとオスマン帝国の陰りが見え始める。その象徴は、レヴァントの海戦である。オスマン帝国はこの時期、スペイン無敵艦隊に敗れる。また、16世紀末にはイランのサファヴィー朝アッバース1世の全盛期をむかえる。

 

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16世紀後半のトルコ・ギリシャ オスマン帝国、スペイン無敵艦隊に敗北 – 10年100年単位でみる世界史

1950年代のアメリカ 朝鮮戦争とアイゼンハワー大統領

 50年代、日本は独立を回復。朝鮮戦争を機に高度成長期が始まろうとしていた。

 50年代初頭のアメリカは、危機に陥っていた。40年代の終わりごろ、ソ連が核実験に成功。さらに中華人民共和国が成立した。強気の東側陣営は、冷戦第2Rを仕掛けてきた。朝鮮戦争である。

 50年代半ば、ソ連スターリン書記長が亡くなると朝鮮戦争は休戦した。米ソ冷戦は沈静化の方向に向かっていた。しかし、ソ連人工衛星の打ち上げに成功すると、再び冷戦が激化した。おなじころ、中米で社会主義化の動きも活発化した。60年米ソ冷戦最大の危機を迎える。キューバ危機である。

 この50年代を指揮したのは、共和党アイゼンハワー大統領である。このころ、反ソ運動が活発化した。いわゆる赤狩りである。また、黒人世別問題も表面化したのもこのころである。

 ただ、経済面では好景気をむかえ、50年代の繁栄と呼ばれた。

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1950年代のアメリカ アイゼンハワー大統領と朝鮮戦争 – 10年100年単位でみる世界史

17世紀前半のオスマン帝国 アッバース1世の侵攻を受ける

 

 17世紀前半、日本では江戸幕府の創成期である。徳川家康江戸幕府を開き、大坂夏の陣で戦国時代を終わらせた時代である。

 このころ、バルカン半島小アジアを統治していたのはオスマン帝国であった。16世紀末、オスマン帝国に脅威が東に誕生した。サファヴィー朝イランのアッバース1世である。アッバース1世は、エリザベス女王の黄金期のイギリスによって近代化していた。オスマン帝国は、多くの領土を奪われた。しかし、アッバース1世が亡くなるとオスマン帝国は奪られた土地を奪還していった。

 一方、ヨーロッパでは、ドイツ三十年戦争の真っただ中にある。オスマン帝国は混乱するヨーロッパへ侵攻した。ヴェネツィア遠征である。

 

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17世紀前半のトルコ・ギリシャ アッバース1世の侵攻を受ける – 10年100年単位でみる世界史

1960年代のアメリカ キューバ危機とケネディ大統領

 1960年代、日本では高度成長期に入り、東京オリンピックが開催された。

 60年代は、キューバ危機で始まった。核戦争寸前までいったキューバ危機は平和裏に終結した。これにより米ソ関係は再び改善した。

 しかし、アメリカは徐々に衰退傾向になった。ベトナム戦争はそれに拍車をかけた。一方で、公民権法を制定。黒人差別問題はさらに解決した。政治面では、民主党政権が続いた。若きケネディ大統領の時代である。

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1960年代のアメリカ ケネディ大統領とキューバ危機 – 10年100年単位でみる世界史

ポータルサイトのブログで1880年の歴史をやっています。

 こんばんは、sekaishiotakuです。 明日から1880年代の世界史をアップします。よければポータルサイトの方から飛んでみてください。

 5月3日の憲法記念日に合わせて、明治憲法が制定された1880年代の世界の歴史を見ていきます。お楽しみに

https://sekaishiotaku.com/nendaibetsu/1880

17世紀後半のオスマン帝国 第二回ウィーン包囲を見たモーツァルト

 17世紀後半のトルコ・ギリシャオスマン帝国が支配していた。

 オスマン帝国は、北方に大きな敵が誕生した。ロシア帝国である。ロシア帝国ピョートル大帝が皇帝になると黒海の北にあるアゾフ海へ進出した。

 一方、バルカン半島では三十年戦争で弱体化したオーストリアがあった。オスマン帝国は弱体化したオーストリアで第2回ウィーン包囲を実施。またしても、ウィーンを落とすことができなかった。しかし、この時トルコの文化がヨーロッパに伝わった。

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17世紀後半のトルコ・ギリシャ オスマン帝国とモーツァルト – 10年100年単位でみる世界史